時事備忘録

最近物忘れが酷いので・・・

民族主義と近代国家

封建領主の時代の説明でピラミッド型社会という言い方がよく出てくるが、これは必ずしも正しいイメージをではない・・・

 

近代国家というものが縦に割られた社会なら封建社会は横に割られた社会ということができる

たとえばロシアの貴族はフランス語を話すことができフランスを始め欧州の貴族社会との交流があったが、自らの領地の農民や農奴とは一生涯に一度も会話することがない、つまり同じ土地に生きているのに違う世界に生きているといえるだろう

近代国家は国家の枠の中で身分に関係なく義務を負うことを強要したが、封建社会において王族・貴族でないものに国に対する義務はない・・・農民は土地に縛られているもののその所有者である領主に対して義務があるわけでもない・・・

もう少しわかりやすいたとえ話をすれば今川義元桶狭間で討たれてもその領民は今川義元に義務が発生することはない。ただ新しい領主に年貢を納めるだけ。いえば誰が領主でも農民たちの生活の何かが変わるわけでもない・・・領主に責任を追うのは家臣だけである


このように封建領主の国は領主と家来のもであり商人も農民も運命共同体としての存在ではない・・・それこそ秀吉のように違う領主に仕官するようなことも起こる・・・それは農民が国に縛られてはいないからだ・・・

フランス革命アメリカ独立戦争のように自律的に民主化した国はともかく、イギリスやドイツのような国はどのようにして封建制を抜け出し近代国家として成立していったのか・・・

これは難しい話である。何より多くの農民は国民の義務などと言われてもその概念自体が理解できない

とはいえ近代化は必須である・・・これはナポレオンが100万人の国民軍で欧州を蹂躙してしまったからだが・・・傭兵を中心とした封建領主ではこの新しい時代に対応できないのは明らかだ・・・だが国家を守る義務を農民に説いてもその基礎となる考えそのものを持ち合わせていないのだからどうしたものか

いくつかの施策が試された。例えば国民皆保険制度や義務教育など・・・これら数々の施策の中で後の世に長く尾を引く概念が発明された。

それが「民族」である・・・

 

「民族」という言葉は古くからあるが、現在のような意味で使われだしたのは割と最近のこと・・・フランス革命による近代国家成立がその契機になった。なので現在の意味での民族はたかだか200年程度の歴史しかない概念である

「民族」は近代国家に民衆を結束させるための装置として利用された。これの裏付けとしてフランス民族やアメリカ民族はいない・・・

かれはら民衆自ら近代国家を作ったので結束させるための結束装置を必要としなかったからだ

しかし封建領主が手動する近代国家では装置が必要だ。そこで「国家に義務を負う」ということを「民族の団結」というわかりやすい言葉に置き換えたのだ

民族という言葉が近代国家に民衆を結束させる装置として生み出された訳だが、この言葉の副産物。いや副作用といってもいいか

世界を大きく変えていくことに当時どれほどの人が気づいていたのだろう

 

19世紀が封建領主の時代から近代国民国家の時代への転換の世紀とするなら、19世紀は長い世紀であったといえるだろう

1790年のフランス革命から近代国家が始まり1918年の第一次世界大戦終結でヨーロッパの封建的帝国の終焉で終わる・・・

そして20世紀は第一次世界大戦終結からベルリンの壁崩壊まで・・・イデオロギー民族主義の時代だ・・・