封建時代の常識
かつて長男は家督を継ぎ次男以下は長男の予備であり女子の至っては道具でしかないという時代があった・・・
こんにちでは「古く間違った常識」と思われている・・・が、古くはあるが間違っていたかどうかは封建時代の理解が必要だ・・・
封建時代に限らす人類の・・・いや全ての生物の原理は子孫の繁栄であり、この原理原則と封建時代の社会・文明レベルにおいて「長男は家督を継ぎ」はもの凄く合理的なものであったと考えることができる
たとえば「七五三」なる行事は子どもは7歳まで生きられないという常識からきている・・・生き残る子どもは大したモノでありお祝いするに十分な理由がある
こうして子どもはすぐ死ぬという常識から家名を末代まで残すためには沢山の子どもが必要であった
しかし沢山作ったあげく結構生き残られるとそれはそれで問題で、当然そこには相続争いが発生し結界的に滅亡では本末転倒の話になってくる
そこで有無を言わさず「長男は家督を継ぎ」という常識が必要となる
場合によっては太郎、次郎、三郎、四郎・・・九郎と順位をあらかじめナンバリングしておく家すらあった訳で、生物の原理。つまり子孫の繁栄に効率なシステムといえる
少し視点を変えるならサッカーで得点を上げるのはストライカーだが、そこに至るまでのアシストやデフェンスをする人間は「勝てる組織」として絶対に必要であり、サッカーに限らず団体スポーツではエース以外の者に献身を求めることは多々あることだ
勝てる組織の構造原理として「スポーツ」も「一族」も似たようなものになるのは必然性があるということだろう・・・皆がシュートを狙いに行っては勝てないのである
封建時代「一族」とは運命共同体でありセーフティーネットであり生活の根幹であった。当時は国家なるものは存在せず、社会福祉も生活保護も存在しない
国家が無いのだから当然である・・・自分自身の保証は一族であり村であり町会であり現代の国家よりかなり小さいコミニュティであった
封建時代の常識を一変させる契機となったのがフランス革命を起源とする近代国民国家であったということ
家族、一族というコミニュティが次第に解体され個人が国家に一元的の統合されていく
これが19〜20世紀に起きた封建社会からの脱却という人類の転機だったと
さて一族というコミニュティが解体され個人が国家に取り込まれている現代社会の常識は本当に正しいものなのだろうか・・・
人類があと数百年生きたのち今を振り返ったなら、その数百年後の子孫から「愚かな常識」と言われない保証はどこにもない・・・