フェミニズムとキリスト教文化
西洋文化圏におけるキリスト教文化の中に男尊女卑思想が根深くある中で、フェミニズム運動というのが生まれて展開してきた歴史的経緯を考えずにフェミニズムというものの理解は難しい
最近の欧米社会にある「ポリコレリベラル」は「西洋文化絶対正義主義」の究極の到達点なんだと思う
いろいろ極まってて後はもう崩壊するしかない状況なんだと
ここでキリスト教文化の流れについて簡単に説明しておくと、始めにキリスト教文化(つまりキリスト教保守)があり、その反発として反キリスト教(自由キリスト文化=リベラル)という考え方が発展していった
これはキリスト教の文化や伝統、教義を古い考えとして、それに反発する形で男女同権や中絶問題などの俗に言うリベラル思想が生まれ、そしてこの(反キリスト教)の流れからポリコレなどの現代のリベラル思想に行き着く
もっともそれを非キリスト文化圏(東洋・イスラム・その他)から見た場合、どっちもキリスト教文化とその派生にしか見えない
いうなら「アンチ巨人も巨人のうち」野球よく知らないJリーグファンから見えればどっちも同じという
西洋哲学をかじった人は西洋哲学の最初のとっつきにくさに思い当たる事があるだろう
西洋哲学がとっつきにくいのは日本人にキリスト教文化の素地がないからだ
キリスト教文化とその他文化では根本的な考え方が次元の違うところにある
だからこれらの地域に西洋文化を持ち込んでも理解されないのは当然のことだろう
つまり日本人がポリコレやフェミニズムを正しく理解するには、西洋人なら物心ついたときから自然に身について当たり前のキリスト教文化をまったくのゼロから学ばないといけない
そして当然の帰結として「学ばないといけない?そんな義務あるの?知らないと困ることなんてあるの?」になる
これは「日本で黒人差別がないのは黒人差別の歴史や文化そのものが無いからだろ」の話と同じもの。日本で黒人差別を無くすためにはまず黒人差別の文化を作るとこから始めないといけないというとてもバカバカしい話になる・・・
無いものは止めることができないというパラドックス
異文化の理解はこれも「メタ」な次元での思考が求められる
異文化は自分たちの文化の延長線上にはないのだ