時事備忘録

最近物忘れが酷いので・・・

「言論の自由」と「言論統制」

トランプ大統領のアカウントが停止されたということが話題になっている

SNSの運営が自己の判断で言論の統制をすることが許されるのかということだ

 

「個人企業の自由だろう」という意見もあるが、SNSを運営する企業は「プラットフォーマー」として、アメリカの法律で「免責」される

プラットフォーマー」は「編集権」を持たないから、一義的に書き込みの責任は書き込んだ利用者にあり、「プラットフォーマー」である運営者の責任は「免責」されるということなのだ

これはSNSなどの新しい言論文化を育てるために作られた法律なのだが

だとするなら「編集権」を持たないはずのプラットフォーマーが、独自の判断基準で書き込みを削除するということが許されるのか? それは編集権の行使ではないのか?
ということである

 

メルケル首相は「表現の自由を制限するのは立法者のみであるべき」だとして「問題だ」と苦言を呈した

 トランプ氏追放は「問題」=独首相、ツイッターに苦言

 

しかしこうした独自判断での「言論統制」は日本でも、主観的な善悪良し悪しで勝手な線引きをする人間がいる

本来、「言論の自由」の線引きは「法」によって行われるべきものであり、その判断は「公共の福祉」に照らして慎重に行われなければならない

しかし何の法的根拠もなく自己の感情だけで他人の言論そのものを制止しようとする人間が後を絶たない

中には「道徳」だの「倫理」だのを持ち出す人もいるが、こうした「道徳」や「倫理」も都合よく切り取った独自基準でしかない

これらが集団化を目指し、ある種の「同調圧力」を生み出そうとすることは、とても危険なことだ

 

言論の自由」は民主主義の根幹であると話したが、他人の言論を力づくで規制しようとする人たちは、自分がさせる側になるということを理解していない

他人に適用されるルールは自分にも適用されるという、ごく当たり前のことだが、より強い力で法に基づかない「言論統制」が行われたとき、この人たちは何と言うのだろう

 

他人の言論を認めることは、自分の発言も認めてもらう為には絶対に必要であり、それこそが健全な民主主義をつくりだし、多様性のある社会を生み出すのである