「司法」の信頼性
「推定無罪」というのは本来は権力に対して不利な市民のための制度である
「推定無罪」とは権力側が犯罪を証明できなければ市民側の勝ちであり、市民側が無罪を証明する必要はないというもの
国家権力と個人の力関係から生まれた民主司法の大原則だ
しかし権力側が「推定無罪」を言い出したら何でもありだ
習近平氏や金正恩氏が「証拠があるなら出してみろ」と言っても、実際に出したら証拠ごと本人が消されるだろ
証拠を権力で潰せる人間が「推定無罪」言い出せばとても民主主義は維持できない
証拠がないから「正しい」といわれれば習近平氏や金正恩氏は正しいということになるのだ
司法というものは国家の権力機関の一つである
国家から独立して存在している訳ではない
つまり国家が正しくなければその枠組の中にある司法権力も正しくないのだ
中国や北朝鮮の裁判に公平性や中立性が見えないのは、中国や北朝鮮という国そのものが公平性や中立性から程遠いからだ
しかし「証拠」による「証明」が全てだと言い出せば、習近平氏や金正恩氏が不正を行った明確な証拠はないのだから、習近平氏や金正恩氏は「正しい」ということになる
「司法」の信頼性はあくまで「国家」の信頼性が担保されてはじめて成り立つ
「国家」の信頼性が揺らげば「司法」の信頼性もまた揺らぐ・・・