定義がなければ議論はできぬ
コンビニの100円コーヒーが旨いか不味いかという話になった
「コンビニのコーヒーなんて不味くて飲めない」と言う
これは主観であり絶対基準なのだから、別に好みは好き好きでいいという話になる
しかしこれを客観的で相対的な議論となるとそれでは終わらない
そもそもコンビニの100円コーヒーより老舗の喫茶店のウン千円のコーヒーの方が旨いに決まってるし、安い豆でも自分でトリミング(選別)して、直前に豆を挽き、ただしいドリップをすればコンビニコーヒーより旨い
しかし「ウン千円のコーヒー」と「100円コーヒー」を比較するのは妥当であるのだろうか?
また自分で手間を掛けて煎れたコーヒーはどうだろう?
煎れるまでに30分掛ければ時給1000円としても500円の労力を払ったことになる
値段を基準とするなら「ウン千円のコーヒー」や「自分で手間を掛けて煎れたコーヒー」は対象として不適切だ
このように「コンビニの100円コーヒーが旨いか不味いか」すら定義の置き方で結論も議論の中身も変わってくる
だから定義を明示されてない議論には応じないか、定義を明示を求めるべきだろう
でなければ時間だけを無駄に浪費することになる