時事備忘録

最近物忘れが酷いので・・・

競馬のはなし

英国の競馬とはもともと貴族の遊びである

どんな遊びかといえばポケモンのような遊びである

ポケモントレーナー同士が手持ちのポケモンを戦わせるのように貴族たちが手持ちの馬を戦わせていた

そして英国における馬券は、貴族たちが手持ちの馬を競わせていた横で、それを見ていた村人たち(庶民)が断りもなく勝手に博打を始めたものだった

ギャンブルが合法で戦争の勝ち負け以外なら何でも賭けの対象となる国で自然に発生した形である

 

かつて日本で競馬とはギャンブル依存の底辺オヤジの遊びというイメージがあった

今ではだいぶ改善されたが「競馬=馬券」というのが日本競馬である

英国の競馬はあくまで貴族の遊びであり、馬券は庶民が勝手にやっている賭博であったので「競馬=馬券」ではない

この競馬主催者と馬券(ブックメーカー)はまったく無関係であるということは、日本の競馬とはかなり違う

考えれば、野球賭博の為に野球がある訳でも、サッカーくじの為にサッカーをやっているわけでもないのだから、馬券の為に馬が走るという日本の仕組みの方が不健全である

 

日本では賭博は違法である。違法であるがゆえに「競馬法」なる法律を別途作る必要があり、その趣旨に沿うために主催者が馬を走らせ馬券も売るという形が出来上がったのだが、英国人から見れば主催者が馬券を売るという行為が理解できないようだ

英国人から見て主催者が馬を走らせ馬券も売るという行為は「イカサマ」要素以外のナニモノにも見えないようだが「日本ではイカサマ防止のために開催中の騎手は宿舎にカンヅメになり外部と連絡が取れない」と聞くと二度驚くことになる

もちろん英国ではそんな制度はない。どころか騎手免許は騎手を生業とする免許であり、自分の所有馬に自分で(無償で)乗ってレースに出る分には特に免許は必要がない・・・英国の競馬はあくまで貴族(馬主)の為にある

 

では、日本の競馬は誰のためにあるのか?

法律の第一条にはたいていの場合、その法律の必要性。つまり「趣旨」がうたわれている
もちろん「競馬法」も第一条には趣旨がある

競馬法
「第一条 この法律は、馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するとともに、地方財政の改善を図るために行う競馬に関し規定するものとする。」

つまり日本の競馬は生産者(牧場)と地方財政の為に存在するのである・・・

余談ではあるがマルゼンスキーがダービーに出れなかったのも、日本の競馬が農水省による国内生産者保護を目的として存在した為である(その後、ジャパンバッシングからの貿易自由化、グルーバル化の流れで日本の農業(畜産)が解放に向かうが)

シャダイやシンボリは「馬産の国際化こそ日本競馬の発展に繋がる」と主張し農水省以下の牧場護送船団方式に反対していた

当時はずいぶん嫌われていた(今でも?)ようだが、特にシャダイはその後のグルーバル化の流れで、一躍、時代の寵児となった・・・

そして自由化によって日本競馬は世界に対抗できるレベルに成長したが、一方で多くの零細牧場が姿を消した・・・

 

まあとりとめもない話になったが、生産者の為にあり馬券と一体である日本競馬と貴族のお遊びから投機商品となっていった英国を中心とする欧州競馬は根本が違うのである