思惑とは真逆の主張をする人々
反差別界隈にこんな事を言っている人がいた
「ウヨクに人権などない」と
もうこの時点で反差別とはなにか?という疑問が湧くのだが
「多様性のある社会」でも書いたが、こうした言葉は自分が他人を叩くための方便
つまりは彼らにとって「差別」も「多様性」も単なるレッテル貼りの為の都合のいい言葉に過ぎないのだろう
医師会が病院の株式会社化に反対した理由は
「お金の問題ではない」ということなのだが
医師会が診療報酬と保険料の値上げを主張したのはどうみても
「お金のため」である
こうして考えると
反差別を主張する人は概ねレイシストであり
多様性を主張する人は概ね不寛容であり
お金の問題ではないという人は概ねお金がほしいのである
つまりは
自らのレイシズムを隠す為に反差別を主張し
不寛容を隠す為に多様性を主張し
お金ほしさにお金の問題ではないと言っている
のではないのか?
人間は自らの思惑を隠すために真逆の主張をするものなのかもしれな