多様性という名の多様性の欠如
「多様性のある社会へ」という人がいる
だが何故かそういう人に限って自分の理解できないものに対して不寛容だったりする
「多様性のある社会へ(オタクは除く)」「多様性のある社会へ(ウヨクは除く)」などなど・・・
特にフェミニストと言われる人たちの中には、自分たちの気に入らないものに片っ端からイチャモンを付けてまわる人がいる
例えばこのフェミニストたちは「マンガは芸術には入らない」とか言い出しだすのだが、それが叩かれると「日本は女性の発言を認めない多様性のない社会」などと自分から喧嘩を売っておいてこれである
この程度ならまだ良いが、女性暴行事件の「冤罪」を主張しただけで「セカンドレイプだ!」とか言い出されると洒落になってない
中には「裁判も証拠もないのに判断すべきでないという考えは間違いだ。」と裁判も証拠もないのに主観だけで事実を断定していいとか主張する人までいる
この人たちにとっての「多様性」とは自分たちの考えを他人に強要する手段であって、自分と異なる他人の考えなど一切認める気などないのだ
自分に理解できないものを排除する「多様性」
自分たちの考えを他人に強要する「多様性」
「多様性のある社会」というのはたぶん地獄のことだ・・・