そこにある科学と信じるという宗教
「そのようなものを信じるというのは科学的ではない」という言い方をする人がいる
この言い方自体がとてもナンセンスなのではなるが、それについてなるべくわかりやすく説明する
科学的であるとは「そこにある事実」であり、人間が目で見たり触れたりして捉えたり論理的に説明できるものだ
で、ある以上「信じる」か「信じない」かは関係ない
信じようが信じまいがそこにあるのだから
つまり「信じる」という発想そのものが科学的でないのである
さらにいうなら「信じない」という行為も科学的でないということになる
科学的であるとはそこにある事実であり、主観である「信じる」「信じない」という話ではない
では「信じる」とは何かなのだが、これは「思想」であり「主観」であり「宗教」である
人間が五感によって感じることができないもので、論理的に「ある」ことを説明できないものだからこを「信じる」か「信じない」かということになるのだ
近年の日本では、特に戦後教育では「科学的」であることを絶対基準に置き「科学的」でないものを価値がないものとみなす風潮がある
そして「そのようなものを信じるというのは科学的ではない」という言い方をする
実際はそれが「科学的」という名の「宗教」に過ぎないのは説明した通りでなのである
もしあなたがそう言われたならこう言い返してやればいい
「なら目の前に【心】をもってこい。科学的に証明してみろ」と・・・
「科学的」であることが絶対基準であるなら【心】はまったく無価値である
「科学」は世界の全てを説明しないのだ・・・