「倫理観」というおかしな主張
「倫理観」という言葉を最近やたらと耳にする
「倫理」とは何かについては昨日話したが、要するに人間が社会生活を円滑に行うための規範でありルールである
そして「観」とはなにか? だが、これは察する力のことである
すなわち「倫理観」とは「空気読め」ということにほかならないのだ
しかし最近やたらと耳にする「倫理観」は、リベラル界隈であったりフェミニズム界隈であったりするところから聞かれる事が多いように思う
曰く「SNSは倫理観が欠如している」というのだ
なんとも腑に落ちない話である
リベラルな方々は、既存のルールに従ったり暗黙了解という事を忌み嫌う人々だと思っていたのだが、伝統や作法を嫌い、常識を打ち破れ、個性を主張しろなどと言い出す人々が「SNSは倫理観が欠如している」などとは滑稽な話だと思うのは自分だけだろうか?
「空気なんて読むな!」「自分のありのままに生きろ!」と言っておいて、一方で大上段から「倫理観」を持ち出すのはどういうことだろう
まあ要するにリベラルな方々は「主観」を「倫理観」に置き換えているだけなのである
つまり「私の(主観)ルールに従え」ということだろうと
「自由」を愛し「自由」であることを望む「リベラルな方々」は、どうやら他人の自由を平然と奪えるほどに、他人の自由には興味がないようである
個人主義の行き着いた先の自分最優先のナルシズムが「リベラルな方々」の言う「倫理観」ということなのだろうか?