裁判所は「真実」を明らかにする場所ではない
まず裁判に対する基本的な誤解がある
裁判は「正しさを証明」する場所ではなく「被害を救済」する場所
つまり裁判に勝っても「正しさを証明」することはできない
なにか問題が発生した現場に判事も検事も弁護士も居合わせたわけではない
だから本当の真実なんて分かるはずがないのだ
とはいえ真実がわからないからと言ってそのまま放置しておくこともできない
特に「被害を救済」という観点から考えれば、50年も100年も真実を探求し続ける訳にはいかない
そこで法律をもとに過去の判例や証拠を積み上げ「とりえず」の結論を出す
これが裁判所の機能である
こうした裁判所の考え方から「推定無罪」などの原則が生まれた
「権力側である検察が犯罪を立証できないければ無罪である」という考え方は「真実」がどうであるかを問題にしていない
そして推定であっても無罪であるのだから、被告は法的にも社会的にも一切の責任を負う必要がない
そうしてみれば裁判は「真実」は置いておいて法によって社会的な決着を付ける行為ということができるだろう
つまり「判決=真実」ではないということだ